KEY OF LIFE は元々、アメリカからミュージシャンを日本へ招聘して、ホテルや結婚式場へ手配(ブッキング)することを主なビジネスとして、代表を務める山中正臣により2000年に創業されました。
正臣の父、山中正秋は、中学を卒業後、家計を支えるため、高知県で大工として修行を重ね、やがて大阪へ移り住みます。
正臣は、物心のついた頃から大工である父を敬愛し、家を造るというモノづくりの世界に興味を持ち、小学4年生の頃には、毎日のように住宅広告を真似て、自分なりの間取りの設計図を描き続けていました。
高校を卒業した正臣は、父と同じ業種である建築設計の世界を目指し、建築デザインの学校へ進学。
さらに卒業後、建築家、楠本菊實のもとで修行を重ねる。
ところが、若気の至りというものは、自分自身で想像もできないほど本能的で、抗えないほど行動的で、これまでの建築という世界に拒絶感を持ってしまい、音楽の世界へ飛び込んでしまいます。
大阪の老舗ライブハウス「AMBUSH」で、アーティストのマネージメントに関するイロハを学び、そこで、数々の有名アーティストとの出会いを経験し、やがて、自身でマネージメントを行う会社を創業することとなります。
これが現在の「KEY OF LIFE」の始まりです。
KEY OF LIFE はそこから日本全国のホテルや結婚式場などにアメリカ人や日本人のミュージシャンを手配し、そこから17年の歳月が過ぎます。
2017年、正臣は結婚をし、その結婚式のスピーチに立ったのは、建築の世界の師匠である、楠本菊實でした。
そこで、師匠が語ったのは主に、「音楽の世界も、建築の世界も、同じ芸術という世界であり、クライアントを喜ばせるということは共通している」というような内容でした。
結婚式の壇上から聞いたその言葉が、正臣の脳裏に残り続け、そして、正臣の父、正秋の他界をきっかけに、正臣の心に一つの言葉が浮かぶ。
「建築の世界に戻ってみたい」
それは、正臣が音楽の世界へ移ったときのように、本能的で、抗えないほど行動的で、遠ざかっていた建築という世界から自分が呼ばれているかのような引力を感じるものでした。
時代は、アメリカで起こったリーマンショックから遅れ出たドミノ倒しのような不景気を理由に、イベントなどが縮小され、音楽やイベントビジネスの世界には、経費削減の風潮とともに、KEY OF LIFE の主なビジネスであったブッキングに翳りが出始めたということにも後押しされ、正臣は決断します。
「建築の世界に戻ろう!」
それからすぐに、正臣は移り住んでいた神奈川県にあるリフォーム店に就職し、建築事務所時代とは異なるリフォーム業界のイロハを5年間の月日を掛けて吸収し、2022年、KEY OF LIFE 株式会社を設立します。
リフォーム店に在籍時も、KEY OF LIFE 株式会社の設立後も、KEY OF LIFE が一貫しているのは、「この人のためなら全力でやってあげたい」と思えるような、相性のいいお客様のためだけに、尽力するということ。
誤解をおそれずに逆を言うならば、「やってあげたいという気持ちになれない人」や「なぜだか波長の合わない人」の案件は、お受けしない、ということ。
そういう人の仕事を受けてしまうと、互いに不満が重なり、やがてトラブルが起こってしまいます。トラブル解消のために時間や労力を使うほど無駄なことはありません。
家族のために何かをするときのように、お客様のために尽力する。
そういう相手でなければ、ただのやっつけ仕事となってしまい、お客様への不満という気持ちを持ってしまうことにもなりかねません。
だから、初めから、そういう人の依頼は受けない。
そういう人のために、貴重な人生の一部である時間を使わない。
このポリシーを貫くことで、まっすぐな気持ちでコミュニケーションを取ることができ、「この人のためにやってあげたい」という気持ちのまま、仕事を通して、とてもいい人間関係を作ることもでき、そうやって注力した作品(リフォームやインテリアデザインなど)について、これまでのお客様には、とても喜んでいただけていると自負しています。
そして、これからもずっと、そういうお客様との関係を築き続けていきたいと思っています。
KEY OF LIFE 株式会社
代表取締役 山中正臣